校閲って大事にしてもらえない仕事だなって思っているけど、大事にしたいと思っている。
- happyyellowpublish
- 2021年9月23日
- 読了時間: 5分
■バイトで冊子の製作をしていたときに思い知った校閲作業のめんどうくささ
地元のオジサンたちの書いた文章をチェックするバイトがありました。
時給850円。指示をしたひとはだいたい2時間で終わると思っていたようです。
ところがその約7000字の修正をするのに、5時間以上かかりました。
誤字・誤用の多さもさることながら、文が複雑骨折していたからです。
単純な間違いを正すことより、うんとこ時間がかかります。
なんせ日本語って『組み立て自由なレゴブロック』っぽいところあるじゃないですか。
以下行った作業です。
①粉砕骨折している文から、伝えたかっただろう意図を読み解く
②なるべく単語を変えないよう、順序を入れ替え成形する。
③前後の文とのつながりを確認・調整する。
④修正した個所をリスト化し、修正の提案を装って直したことを報告する。(勝手なことをしたら叱られるので)
地元のオジサンと申しましたが、じつは原稿を提出している全員が、どこかの代表取締役。お偉方でございました。
赤ペンいれて『変だから直してください』と突き戻せない、かつ、この仕事は間にべつの会社が絡んでいて本人に問い合わせできない状況でした。
間の会社のひとは言います。
『だいたいでいいから』
そのだいたいってどこやねん。どのへんやねん!
複雑骨折したまま紙面に掲載するというのはとっても怖かった。(心臓がカエルサイズなんで)
冊子に目を通した方が『社長のくせしてピ―(自主規制)―じゃね?www』という感想を抱けば、まわりまわって『なんできちんと修正しなかったんだ』って責められちゃうかもではないですか。
または執筆者が読み返した際、複雑骨折に気づいたとして、『俺の原稿ちゃんと直せよな!』とお叱りを受けちゃうことになるかもしれないではないですか。
持ち前の妄想力で、『やばやばのやばではー!!』と焦りましたね~!
まあそれらは杞憂で、文句を言われたことは一度もありませんでした……。
いつまでも不快な尾を引くお仕事でした。
■学校で構文を教えないので、日本語レゴブロックに失敗するのは当然なんですよね
わたしができているかはさておき、義務教育では作文の書き方、授業で習ったことないですもの。
書く練習として作文の課題はありましたし、作文を書く授業もありましたよね。
よーいドン!時間以内に書きましょうって感じで、先生は教室のなかをうろうろしているか、座って教室の隅でお仕事しているか、そんな感じじゃありませんでしたか。
国語教育って、読みあげ、お手本通りに解釈させることへばかり注力しているのではと思っています。
脳みその、書くときに使う場所と、読むときに使う場所は全然ちがうので、むしろ『読み』『書き』で科目を分けたほうがいいかもしれませんね。
ちいさなお子さんのいらっしゃる方、ぜひ『考えを書く練習』を促してあげてくださいませ。
■校閲は仕事にしたくないなと思った原因をいくつか。
①文章の原稿に対し校閲を行う際、ふたを開けただけでは作業時間を見積できない。
見積もれない以上、単発のお仕事として受けるのはリスキー。
『オジサンが日本語レゴブロックで遊んだ』系なのか、『同人小説歴15年の戦士が推敲の末他人の目を求めた』系なのかで、ぜんぜんやることが違う……。
②時間をかけてじっくりやってはいけない。
『まじめにやるほど作業時間が足りなくなるし、校閲に来るときは大体ギリギリ』
●●ディライトの校閲講座を受講したとき、先生がこんなことをお話されてました。
(※わたしが受けたのはチラシの校閲講座でした)
うむ、そのとおり。
③コストカット優先の社会では、文を磨く行為はもちろんカット対象であります。
デザイン事務所にいた際に、
デザイナーから説明文のチェックを依頼され、しめきりを聞いて作業にかかったあと、
締め切り前に『やっぱりいいわ』と引き取られることが何度かありました。
理由を訊けば『もう入稿したい』とか、『お客さんがOKしたから打ち切り』とか。
『見てもらったらよくなるのはわかってるんだけどねぇ、ごめんねぇ~』って感じで終了。
もちろんわたしが働くぶん、製作費用がかさむわけだからして、デザイナーが切り上げたくなる気持ちもわからいではないのです。
しかしモチベよ……ぽきんと折り取られる程度の、軽い役割に対し、どちゃくそまじめに取り組んでしまったと、モチベが水たまりに沈むのよ。
ほかのデザイン事務所ではそんなこと、ないのかもしれないけれどね!
■だが自著の校閲を依頼し、赤ペンをもらうと、めちゃめちゃ成長できる。
コストだうんぬんは、あくまで会社の話。
同人誌だったら、なんぼでも読み返したり、練り直したりできる。
だって趣味だものー!タモリさんだって、趣味こそ本気出せ、みたいなことおっしゃってましたよね。推敲に時間をかけても許される世界です。でもひとりでやってると目が滑るようになります。
わたしは、べつに校閲がめちゃくちゃ大好きというわけではないですが、
拙著はなるべく3回くらい通してチェックするようにしております。
なっとくできる仕上がりにし、努力した充実感を自分に示す……自己実現欲求を満たすためですね!
で、そののち校閲してくれるお友達へ依頼しています。
まぁ~じでこのひとがすごいんですよ、本職じゃない方なんですけど!!
うっすらと『ここ変かもしれんけど、スルーしてもらえるかもな……』と考えていたところに、バチッとダメ出しをくらわされる爽快感。あなたエスパーなの?ってビクンビクンしちゃう。
なにがダメなのか、指摘を受けて、しっかり考え、覚える。
校閲を依頼する真価は、当該の文を修正することではなく、
『これから書くものに対しても間違わないためのヒント・わかりやすく書くためのヒントになる』というところにあると考えます。
わたしの校閲担当大臣が挙げてくれた、とんでもなく言語化のむずかしいポイントは、後日紹介したい所存です。
また校閲結果の活用方法なんかも、シェアできればと思います。
■『友人に告げるように、誠実かつ親切な気持ちで赤ペンを走らせる』
●●ディライトの先生のことばをまたお借りしました。
校閲は、いいものをつくろうという、真心のあるひとでなければつとまらない仕事だと思います。
まじで、ほんと……まじで、他人の文章を磨こうってんだ、校閲者はみんないいやつだ。
(ドクターヒルルク(嘘(ごめん、でも本音でしゅ
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